2012年08月13日

秀ちゃんのカローラスプリンター

 カローラがモデルチェンジして11代目となった。実に3900万台を世に送り出した。そしてすでに目標の2倍、月15000台以上の受注があるという。
 最初のカローラが発売された昭和41年から数えて46年、ここ数年こそトップの座をハイブリッド車に譲り渡したものの、これほど長い間ベストセラーカーとして君臨しているクルマは世界中探しても他にないだろう。

                    Ke10

 例えばフォルクスワーゲン・タイプ1は一回もモデルチェンジすることなく、65年間生産し2100万台を超えた、4~5年ごとにモデルチェンジするカローラにはない大記録だ、これを越えるクルマももう現れないだろう、偉大なのはポルシェかヒトラーかそれともドイツ国民か。またスーパーカブのように発売以来54年6000万台を超えてなお生産を続けているバイクもある、本田宗一郎親父さんもまさかスーパーカブが中国製になろうとは思ってもみなかったことだろう。


 忘れていけないのが国産車でいちばん歴史のあるのがクラウンだ、昭和30年以来58年間、13代目だ、だがこちらは高級車でありベストセラーとは言い難いが、良くも悪くもこれが日本の高級車のスタンダードなのだ。
 そしてカローラもまた日本の大衆車のスタンダードなのだ。

                    Ke1005

 昭和41年、カローラKE10が発売されたときは非常にセンセーショナルだった。その時代日本の乗用車はトラックのような頑丈なものからややソフトなものに替わってきたとはいえ、まだまだ重く堅くその代わりふわふわした乗り心地のものが多かった。
 例えば昭和41年のコロナRT40の前輪は金属ブッシュの頑丈なダブルウイッシュボーンに太いコイルスプリングを組み合わせて重たいバネ下荷重のため、今のカローラより二回りも小さいのに1トンもあってふわふわしていた、それでも当時としてはしっかりしている方だった。やっと名神高速の一部が開通した頃の話である。


 そこに登場したカローラは、日本初のマクファーソンストラット、ロワーアームとダンパーとスプリングだけという構造だ、今と比べればずいぶん柔らかいのだろうが当時としては堅くしっかりしたスポーティなサスペンションだった。ライバルのサニーも工夫して横置きリーフを使った軽快なサスペンションだったが、2代目からマクファーソンに替えてきた。

                    Ke1003

 フロアシフトの4速はずいぶん長いレバーだったが、当時はコラムシフトの3速がトレンドだった時代、これだけでも新しかったし、ホーンリングがなくなってステアリングホイールのスポーク部分がホーンスイッチになっているのも簡潔で目新しく思ったものだ。

                    Ke1002

 エンジンルームも新鮮だった、120度左に傾いた1100㏄OHVエンジンにはまだ珍しかったカートリッジ式のオイルフィルターが目立って輝いていたし、クラッチレリーズは太いワイヤーをEリングで調整するタイプで、これも初お目見えというものだった。
 1100㏄はサニー1000に対するもので「プラス100の余裕」のキャッチフレーズはずいぶん流行した。

                    Ke1004

 さて遅れて発売されたカローラスプリンター(AE15)。後にスプリンターはカローラから独立するがこのときはカローラのバリエーションのひとつだった、要するにカローラの2ドアクーペタイプだ、売れ筋はSLのグレード名が付いたスポーツタイプだ、前述の長いシフトレバーはコンソールボックスで隠して短く見せ、タコメーターをはめ込み、ウッドタイプの3本スポークのハンドルを付けてスポーツムードを演出、しかもキャブレターを2つにしただけで60馬力から73馬力にアップ、これがまた軽快な走りを見せるからこのあたりから、スポーツタイプ、というクルマが大流行した。

 私の幼なじみの秀ちゃんが発売直後のスプリンターSLを買ったのは実に驚きだった、当時の価格で58万7千円、私はまだ中古で12万7千円のRT20コロナをころころ転がしていた頃のこと、お金持ちの息子をうらやましく思ったものだ。

                    Ke15

 ところが秀ちゃん、この新車のスプリンターを貸してやるというのだ、私が、今晩デートだ、といったらいつも私がもてないことを気にしてくれていた秀ちゃんは、おまえのポンコツコロナではうまくいくものもうまくいかない、とかいって、これに乗ってけ、ということのなった。
 なんだかなァ、とは思ったがせっかく貸してくれるというのだからと私はスプリンターに乗って意気揚々と出かけていったものだ、ところが彼女はこれが気に入らないというのだ、それがきっかけになって二人はその日、けんか別れになった。
 私は落ち込んで帰ってきて車を返そうと思ったが秀ちゃんに連絡が付かない、仕方が無いので一晩借りておくことにした。
 で、その晩に見た夢がまた最悪、私の家の木造のガレージドアにトラックが突っ込んで秀ちゃんのスプリンターがくしゃくしゃになってしまったのだ。


 私は夜明けと同時に飛び起きてスプリンターを返しに行った、秀ちゃんには罵詈雑言を浴びせられたのは言うまでもないが、その足で彼女に会いに行ったら彼女曰く。
「不自由なセパレートシートは嫌い、私はベンチシートが気に入ってるの、もっと近くに座りたいわ。」

 今日のオチがわかるのは50代以上?、もしかしたら60代以上かな、うっ。

posted by 健太朗 at 22:59| Comment(4) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする