BC戦争のB・ブルーバード

 そのムカシBC戦争があった、Bはブルーバード、Cはコロナだ。
最初のモデルは昭和30年1月登場の110型ダットサン(水冷直列4気筒2ベアリング・ サイドバルブ 排気量860cc・25馬力)これが好評で、日本の貧乏を肯定した健康的なデザイン、と評された。


 この頃はタクシー需要が主で、中型はクラウンRS、小型はダットサンという構図だった、その小型市場へトヨタはトヨペットコロナで対抗しようとする。


 実はコロナは結果的に2代目となるT20型を開発中であったが、タクシー業界の強い要望で急遽、すでに生産中止されていたトヨペットマスターの車体骨格の一部とドア、クラウンの足回りを組み合わせて古いサイドバルブエンジン(995cc・33馬力)を載せたST10型を創り上げた。

 どちらも今の軽自動車より少し長いくらいの大きさだったが、これが当時の小型タクシーの上限だったのだ。


 コロナが生まれた昭和32年、日産はオースチンで培った技術でオーバーヘッドバルブの1000㏄エンジン(34馬力)を載せてきた、ダットサン1000・210型だ。
 これが神風タクシーのフレーズを生み、オーストラリア一周ラリーにも参加して大きな注目を浴びることとなる。
 一方コロナの方は、だるま、の愛称で親しまれ、P型1000㏄45馬力OHVエンジンに換装してようやく100km/hが可能となったがダットサンの人気には及ばなかった。

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                                 これはマイナーチェンジ後のモデル

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 昭和34年8月、ダットサンはブルーバード310型にモデルチェンジする、テールランプの形から、柿の種、とあだなされ人気を呼んだニューモデルは、従来型の1000㏄と新型1200㏄のエンジンを用意していた。

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 このエンジンは当時としては実に合理的で、BMCのオースチンB型エンジンのストロークを変更してダウンサイジングしたものだった、そしてこの方式は後のサニーやチェリーにまで続いた。
 だからこの頃わりと当たり前に行われていたエンジン換装という作業も比較的楽に出来るというメリットもあった、例えば1000㏄タクシー上がりの安いクルマを買って事故車の1200㏄エンジンを載せるとか、理論的にはオースチンの1500㏄エンジンもこのブルーバードに乗せることが出来たはずなのだ。だが私たち新米メカニックにはあのプラスアースというイギリス式の電装周りには泣かされたものだった。

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 昭和30年代後半から40年代にかけて、一般庶民にもマイカーが急激に浸透するのだが、やはり310の主たるオーナーはタクシーであって、保守的なデザインと堅牢な構造は必修であり、実際運転をしてもしっかり感が随所から伝わってくる、ことに停まらなくてもローギヤにシフトできる、フルシンクロ、とかちっと決まるシフトフィールは一般ユーザーにも好評だった。


 昭和35年にはコロナがいよいよ二代目PT20型にモデルチェンジする。大規模なティザーキャンペーンやドラム缶を積んだ壁を突き破るコマーシャルフィルムで前評判は良かったのだが、残念ながらエレガントでスマートに見えても頑丈なイメージには乏しく、この時代もブルーバードに軍配が上がったようだ。

 昭和39年になるとブルーバードは410に、コロナはあのRT40に移行する。
コロナはココロ入れ替えてまったく凝ったデザインを排除し、質実剛健というクルマ、これが大衆にうけて空前のベストセラーカーになる、片やブルーバードはピニンファリナデザインの欧州風尻下がりスタイルが全くの不評、すぐにマイナーチェンジしておしりをあげてみるが四角いコロナに惨敗となる、さらに44年、四角い510をデビューさせいくらか巻き返すもこの辺りでBC戦争は徐々にその火が消えて行くのである。

 コロナはRT60コロナマークⅡになって大きくなり、ブルーバードもまたブルーバードUに格上げ、これもまたマークⅡに軍配が上がることとなって、ブルーバードはバイオレットとその名を変える、こちらは逆に反り返った波形デザインが一般には受け入れられず、ハッチバックはタクシーに嫌われ、とさんざんだったがノッチバックにマイナーチェンジしてからはタクシーに多く使われている。


 そして現在はブルーバードはシルフィー、コロナはプレミオを名乗っているが、すでにこの手のセダンスタイルに人気は集まらずタクシーは専用車に替わって、あまりお目にかからなくなったがどちらもすでに成熟の域に達してすばらしい実用車になっているので、何か安心して乗れる感がある。