フロンテというクルマは昭和のクルマだったのだ。
あれはたった7日間の昭和64年が終わったとき、物品税が廃止され、軽ボンネットバンのメリットがなくなって、フロンテはアルトと名を変えた。
最初のフロンテはスズライトから派生したモデルで、つまりライトバンから乗用モデルフロンテが出来た、次に5代目フロンテからアルトが出来た、そして7代目で乗用車フロンテは商用車アルトに吸収されて、乗用車も商用車もアルトと名乗るようになった、というわけだ。
スズライトは日本最初の軽自動車であり(道路運送車両法)、同時にスズキ最初の軽乗用車でドイツのロイトというミニカーを参考に、というよりロイトにそっくりなクルマだった。もっともロイトなんてクルマは写真でしか見たことないが・・・、昭和30年のことだ。
私が中学生の頃、先生がこの初代スズラストに乗って通勤されていた、窓が小さくて先生の頭だけしか見えなかったことを覚えている。
2代目スズライトはライトバンだけのTL型、初めての出張修理、で話題にしているクルマだ。
そして昭和62年、このTLからTLA型フロンテが誕生する、リヤの横開きテールドアをダットサンのようなトランクにして3ボックスにしている。
明くる年エンジンとドライブシャフト・ジョイントを改良したフロンテはスズライトバンTLとは打って変わったすばらしい走りを見せるようになり、折しも鈴鹿サーキットで行われた第1回日本グランプリレースに出場、コーナーでは前輪駆動特有の三輪走行を見せながらライバル・スバル360を押さえてワンツーフィニッシュを決めた。
さてここまでの3モデルはすべて前輪駆動だ、フロントエンジンフロントドライブだからフロンテだ、と思っていたら2代目フロンテがリヤエンジンになったのだから面食らった。なんとスズキさんはフロンティア精神だとのたまうのだ。
そこで思い出すのは初代フロンテが発売された直後の第8回東京モーターショーに、スズライトスポーツ360なるものが出展されていた。これがリヤエンジンなのだ。
2代目フロンテより古くさくて試作車然としているが、なかなかいい顔をしているのが印象的だ、エンジンはTLの2サイクル強制空冷並列2気筒の圧縮比を上げて25馬力を引き出している、そしてサスペンションはオールトレーリングアームにストラットのようなバネとダンパーを組み合わせたものを使っていると言うから、2代目フロンテの3気筒エンジン、ダブルウィッシュボーン・セミトレーリングアームとはちょっと違うが、リヤエンジン軽乗用車の開発がこのときすでに始まっていたことを示している。
さてリヤエンジンの2代目フロンテは、すごい走りの∬の人気が高い、ダイハツの販売店に勤めていた友人がこのフロンテ∬に乗っていて、私はというとダイハツフェローに乗っていて、なんだか悔しい思いをした一時期があった。120㏄コレダのエンジンを3つつないだという噂もあったが、なるほどカバーを開けるとバイクと同じようなフインを切ったシリンダが現れ、しかもバイクのキャブレターが1シリンダに1つづつ着いている、ただしすごい走りと引き替えにちょこっと大食らいと排ガス対策に弱い一面があった。
車検時に排気ガステストに合格させるためには思いっきり燃料を絞る必要があって、そしてその状態ではまともに走らない、車検が終わればすぐ元に戻す。試験管だってそんなことは百も承知のはず、よくまぁこんなことで国の車検でございと通るものだ、と思った。
しかしこのすばらしい走りのリヤエンジンフロンテからあのフロンテクーペが出来たのだ、あの天才デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロがイタルデザインを設立した最も脂ののった時代の作品で、そのすばらしいデザインとたった360㏄で排ガスなんて何のそのの高性能を両立させた、こんなすごい軽スポーツカーはもう二度と現れないだろう。