2011年10月30日

FFのフロンテ・RRのフロンテ

 フロンテというクルマは昭和のクルマだったのだ。


 あれはたった7日間の昭和64年が終わったとき、物品税が廃止され、軽ボンネットバンのメリットがなくなって、フロンテはアルトと名を変えた。
 最初のフロンテはスズライトから派生したモデルで、つまりライトバンから乗用モデルフロンテが出来た、次に5代目フロンテからアルトが出来た、そして7代目で乗用車フロンテは商用車アルトに吸収されて、乗用車も商用車もアルトと名乗るようになった、というわけだ。

 スズライトは日本最初の軽自動車であり(道路運送車両法)、同時にスズキ最初の軽乗用車でドイツのロイトというミニカーを参考に、というよりロイトにそっくりなクルマだった。もっともロイトなんてクルマは写真でしか見たことないが・・・、昭和30年のことだ。
 私が中学生の頃、先生がこの初代スズラストに乗って通勤されていた、窓が小さくて先生の頭だけしか見えなかったことを覚えている。

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 2代目スズライトはライトバンだけのTL型、初めての出張修理、で話題にしているクルマだ。
 そして昭和62年、このTLからTLA型フロンテが誕生する、リヤの横開きテールドアをダットサンのようなトランクにして3ボックスにしている。
 明くる年エンジンとドライブシャフト・ジョイントを改良したフロンテはスズライトバンTLとは打って変わったすばらしい走りを見せるようになり、折しも鈴鹿サーキットで行われた第1回日本グランプリレースに出場、コーナーでは前輪駆動特有の三輪走行を見せながらライバル・スバル360を押さえてワンツーフィニッシュを決めた。

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 さてここまでの3モデルはすべて前輪駆動だ、フロントエンジンフロントドライブだからフロンテだ、と思っていたら2代目フロンテがリヤエンジンになったのだから面食らった。なんとスズキさんはフロンティア精神だとのたまうのだ。

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 そこで思い出すのは初代フロンテが発売された直後の第8回東京モーターショーに、スズライトスポーツ360なるものが出展されていた。これがリヤエンジンなのだ。
 2代目フロンテより古くさくて試作車然としているが、なかなかいい顔をしているのが印象的だ、エンジンはTLの2サイクル強制空冷並列2気筒の圧縮比を上げて25馬力を引き出している、そしてサスペンションはオールトレーリングアームにストラットのようなバネとダンパーを組み合わせたものを使っていると言うから、2代目フロンテの3気筒エンジン、ダブルウィッシュボーン・セミトレーリングアームとはちょっと違うが、リヤエンジン軽乗用車の開発がこのときすでに始まっていたことを示している。

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 さてリヤエンジンの2代目フロンテは、すごい走りの∬の人気が高い、ダイハツの販売店に勤めていた友人がこのフロンテ∬に乗っていて、私はというとダイハツフェローに乗っていて、なんだか悔しい思いをした一時期があった。120㏄コレダのエンジンを3つつないだという噂もあったが、なるほどカバーを開けるとバイクと同じようなフインを切ったシリンダが現れ、しかもバイクのキャブレターが1シリンダに1つづつ着いている、ただしすごい走りと引き替えにちょこっと大食らいと排ガス対策に弱い一面があった。

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 車検時に排気ガステストに合格させるためには思いっきり燃料を絞る必要があって、そしてその状態ではまともに走らない、車検が終わればすぐ元に戻す。試験管だってそんなことは百も承知のはず、よくまぁこんなことで国の車検でございと通るものだ、と思った。

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 しかしこのすばらしい走りのリヤエンジンフロンテからあのフロンテクーペが出来たのだ、あの天才デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロがイタルデザインを設立した最も脂ののった時代の作品で、そのすばらしいデザインとたった360㏄で排ガスなんて何のそのの高性能を両立させた、こんなすごい軽スポーツカーはもう二度と現れないだろう。

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posted by 健太朗 at 18:02| Comment(6) | TrackBack(0) | スズキの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月15日

完成されたスバルの360・・・スバルR2

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                      カタログより 

 スバル360は日本を代表する名車だ。


 リヤシートの後のホンの小さな隙間にコンパクトなエンジンを載せて、たった3メートルの車体に大人4人をゆったり座らせてしまう、昭和30年代の日本車のデザインとしては画期的なものだった。
 このすばらしいクルマは実に12年間に渡り、約39万2,000台が生産されたという。


 国産自動車の黎明期から、それこそ日進月歩で発達改良されていく時代に12年ものあいだ基本設計を変えずに生産されたことは快挙に値すると思う、どうだろう12年もモデルチェンジしなかった日本車は360のほかに多くはないだろう、この時代のクルマなら三菱デボネアがある。
 外国車ならフォルクスワーゲン・タイプ1(初代ビートル)、こちらは桁外れで65年間に2千万台を越えているが、これは国民性もあるから比べないほうがよい。

 富士重工がビートルを真似したかどうかはわからないが、12年もの間には、改良してもしきれない部分が出てくるのは仕方がない、例えばトランクスペースがない。ボンネット下の空間に大きく足を伸ばす着座姿勢。重量配分によるふわふわサスペンション。同じ理由で軽すぎるステアリング。最高速度は最終型で90km/h。
 これらを改良するには根本的に見直すしかなかったのだ。

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                  当時の愛車

 そこで登場したのがスバルR2だ。ホンダN360やフロンテに対抗せねばならない。
 小さいながらボンネット下にトランクルームが出来た。燃料タンクをリヤシート下にしてリヤシェルフも大きくなった。着座姿勢は普通になり、室内はより広くなった。サスペンションはリヤもトレーリングアームになってしっかりした乗り心地になった。そしてエンジンはシリンダにアルミをおごって、リードバルブも採用され飛躍的に良く廻るようになった、最高速度も115km/hとなって、まるで小型車に乗っているよう、と評されるようになった。

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 スバルR2は完成されたスバルの360なのだ。
 しかしそれでもやがてN360に追い越される結果となった。生まれるのが少しだけ遅かったのか、時代は前輪駆動全盛時代に流れて行くのだ。

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 昭和44年、私はR2発表展示会で試乗している、まだ全面開通していなかった葛野大路を時速60キロで走ってみて、これなら使える、と感じたことを覚えている。
 何しろ私が時以前乗っていた360は16馬力の横エッチ、時速60キロはほとんど最高速度だったのだ。

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                 カタログより

 そして46年から4年近く、この初期のR2のオーナーとなった。
 当時の軽乗用車としては、N360のようにせわしなくはなく、フロンテのように大食らいでもなく、フェローより力強く、何となくカローラの80点主義のごとく可もなく不可もない、移動の道具としてホントに使いやすい車だったから、友人に是非にと請われて譲るまで何の不満も感じないまま4年も乗ってしまったのだ。

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 以後私はファミリアやカローラなど、道具として使いやすい車ばかり乗っている、私だけではない、日本の乗用車はやがて白物家電化して行くのだ。心の奥深くにマニアックなエンスー魂を仕舞い込んでいることを忘れているわけではなかろうに。

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posted by 健太朗 at 20:13| Comment(14) | TrackBack(0) | スバルの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする