2011年09月27日

国民車・パブリカ700

 クラウン、コロナが成功して昭和29年に開発が始まったトヨタの大衆車、はじめはシトロエン2CVを参考にした前輪駆動の2BOXだったが、ここでもドライブシャフト・ジョイントがネックになって、うまくいかなかった。

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  しかし長い時間をかけて開発が行われ、昭和35年の第7回東京モーターショーに新型大衆車として量産型デザインの試作車が展示されて車名公募が行われ、パブリカは生まれた、パブリックカーの造成語だという。
 もしかしたらこのときはまだFFだったかもしれない、フロントサスペンションにトーションバースプリングを使ってドライブシャフトのスペースを確保しているあたりがFFの名残りではないだろうか。

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  そして昭和36年6月、FRセダンとして生まれ変わったパブリカは質実剛健な大衆車として38万9千円の単一グレードで発売された、しかし当初はあまり売れなかったという、当時の流行は黒塗りでクロームメッキのぴかぴかボディとと一部布張りの豪華なシートで、つまりちょっと豪華でステータスなクルマでなければマイカーを手に入れた感が薄いのである、ところがパブリカの場合は国民車構想の異常に安い価格設定(国民車構想では25万円以下)を意識したのかどうか、外装も内装のまったく飾り気がなく、しかもしゃれたサーモンピンクをイメージカラーにしていたのだった。
       
  国民車構想というのは昭和30年当時の経産省の一部の若いクルマ大好きお役人たちによって創られたもので、国民車として一定の方向を示すものだが、これは正式に発表されたものではなくマスコミによってスクープされたものだと言う話もある、しかもこれに合致したクルマを作っても政府から何の助成措置もなかった、むしろこれを強く意識して作ったクルマは結局中途半端で販売は伸びなかったのだ。

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  その後、メタリック塗装のデラックスを追加し、オープンボディの美しいコンバーチブルを発売、そしてビッグマイナーチェンジして800になり、ライトバンやピックアップからミニエースというトラックにまで発展し、ついにはS800というスポーツカーまで売り出して名実ともにトヨタの大衆車、ベストセラーカーになった。
 それでも私はサーモンピンクのオリジナルデザインが一番いいと思う。

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 今の軽自動車より少し長いくらいの寸法で充分なトランクスペースを持つノッチバックセダンは見た目より広く大人4人が充分に乗れる空間を確保している、強制空冷水平対向2気筒の利点を生かして低いボンネットを実現、スマートでしゃれたデザインとゆったりした乗り心地を両立している。 
  550kgの軽量ボディに28馬力の空冷エンジン、今の軽自動車でも味わえない軽ぅいクルマだ、アイドリングで左右にゆらゆら揺れるような振動も懐かしいが、アクセルペダルに力を入れて頑張らせたときのぶるっと震えて2気筒の鼓動を伝えてくるのはこのエンジンの最大の魅力なのかもしれない、だがもう少し力があったらと思わせるところがこの時代のクルマだ。

 で、当時流行った特別整備、早い話が違法改造なのだが、パブリカ700のエンジンを800にする。つまりシリンダとピストンを800のものに交換するのだ、排気量が100㏄増えてほんの少し力強くなる、と感じる程度なのだが。

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 シリンダとシリンダヘッドを分解した際に気をつけなければならないのがオイルタペットというバルブクリアランス調整装置、水平対向エンジンはどうしてもバルブクリアランスの調整がしにくいのでこの作業を省くために採用された、油圧を利用したこの装置、組み付けるときに充分空気を抜いてエンジンオイルを充満させてやらないと、タペット内の油圧が上がらずかたかたと大きな音を立てる、また古くなってくたびれてくるとやはりカタカタと大きな音を立てる、こちらはオイルタペットの摩耗によるものだ。

 おっと、パブリカの魅力を充分お伝えする前に欠点を書いてしまった、しかし当時パブリカにお乗りになった諸先輩は、そんな欠点は気にならないくらい魅力的なクルマだった、とおっしゃるに違いない。
 非力な空冷エンジンセダンの魅力を言葉で表すのは難しいものだ。

posted by 健太朗 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする