昭和45年夏、高度成長期のまっただ中、千里丘陵では万国博覧会が開催されているころ、わが自動車屋でも好景気で、新車中古車問わずよく売れたし仕事はいくらでもあった、中古車は1年未満、1万キロ未満も当たり前のように売買されていた、私自身二十歳を少し過ぎた頃、心身ともに充実、日付が変わるまでクルマの下に潜っていたこともたびたびあった。
そんな折、こんなに小さくてレトロな自動車屋でなんと新車発表会が催された。
アブラで汚れた壁に掛けられた愛用の道具類はすべて紅白の垂れ幕で隠され、かど口には立て看板やのぼりが立てられた、いつもの作業場にはモデルチェンジしたばかりのフェローマックスが鎮座していた。そして軒先にはその試乗車も用意された。
ダイハツデーラーがこんな小さな自動車屋に期待を持ってくれたのは嬉しいが、これは異常やな、と思った。デーラーや大手の販売店ならともかく京都の小さな町工場は古くからのお得意様でもっていて、少なくとも通りがかりの人がふらっと入ってきて新車を眺めて、そして商談などということはまずないだろう、お得意様だって普段から来店されることはほとんどない。
その思いは的中した、数人のお得意様と私の友人が賑やかしに来てくれた以外、ほぼ一日中ご近所のオジサンたちの井戸端会議の場となっていたのだ、まるで地蔵盆のように。
それでもこの日の後、数台のフェローマックスが売れたのは新車発表会おかげではなくフェローマックスの人気と期待度の大きさから、ではなかったかと思う。
期待のニューカー・フェローマックスはそれまでのフェローとはまったく違っていた、エンジンは同じZM型2サイクル2気筒を使っているのに、これがホントにあのトラック屋のダイハツのクルマかと思うほどかっこいい2ボックスの軽いボディとスポーティーで軽快な走りの前輪駆動、その分ちょっと乗りにくさも兼ね備えていた。
朝顔型のハンドル、ちょっと堅めのフロアチェンジのシフトレバー、短いストロークでがしっとつながるクラッチ、細かに調節できるリクライニングシート、二点式シートベルト、かっこいいダッシュボードとコンソールボックス、手動ポンプ式ウインドウォッシャ、前ストラット、後セミトレーリングアームのちょっと堅めのサスペンション、どれもが新しかった。
それでもまだこの時代、このスタイルでハッチバックではないし、ラジアルタイヤでもない、そしてエアコンもオートマもない。
数台売れた中にフェローマックスSSがあった、ZM15型エンジンは圧縮比を11にあげ、ツインキャブによって驚異の7200回転でなんと40馬力を絞り出している、これはリッターあたり100馬力を超える、軽自動車としては初めての快挙であった。
期待通りこのクルマの走りはすばらしく、2サイクルエンジン特有のこもるような振動をボディいっぱいに響かせてびっくりするほどの加速を味わわせてくれた、音や振動が抜けないせいか、あのN360のバイクのような加速感とはまた違った、恐怖にも似た驚きがあった。
ところが、しばらくこのSSに付き合ってみると、このような本来の性能をたたき出す快調な状態を保つことの難しさに気がつくのだった、今のコンピュータで制御するエンジンと違って、なにもかも人の手で調整してやらなければならないのがこの時代、タイミングやキャブレターの調整も、気むずかしい、としか言いようがないほどシビアで、例えばタイミングは1度以下の差で極端に加速が悪かったりするし、キャブレターは少し薄いとのびが悪くなるし濃いめで調子を出すとプラグが溶けるほどの熱を持ってしまう、もちろんバランスが悪いと情けないほど調子が出ない、苦心して調整しても1週間もするとまた再入庫というありさまだ。
マックスSSがすべてこんな有様だったと言うことはないと思うが、機械には当たり外れがあって、また機械というものは故障して当たり前、を実感していた時代のことだ。
結局いろいろやってみた結果、ベストではないがベターといえる持続可能な妥協点を見つけ出したものだった。
もしも現代の技術で、例えばコンピュータ制御であのエンジンを廻したらどんな走りをするのか、出来ることなら見てみたい、そう想う。
果たしてこのフェローマックスSS、20才過ぎの若い顧客ではあったが1年を過ぎた頃、見切りを付けてほかのクルマに乗り換えとなった、自動車屋にとってはちょっと苦しい1年だった。