2010年12月29日

羨望のキャロル

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 タイトルに羨望の、と付けたがおよそ私の場合どんなクルマも多かれ少なかれ羨望の的なのだ。
 そのころ8万キロも走ったおんぼろスバル360に乗っていたし、私のうちにはちょっと長距離が心配なR360クーペがあったからか、どのクルマも長所欠点をいつも考えていた。

 キャロル360はR360クーペの後部座席の不満を解消するため、昭和37年2月に発売された。

 

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 それより4ヶ月前の10月、第8回東京モーターショウには、ちょっとしらばっくれたようなクルマが展示されていた。マツダ700がそれだ

 

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 発売直前にフロント周りをちょっと換えてタイヤを無理に太くして、それで660㏄のエンジンを積んでおります小型車でございだから、当時はまだ新型車をスクープしようなんてマスコミはなかったのだろうか、今みると実に茶番だ。

 

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 しかしこの時代は国民車構想を発端とする、パブリカや三菱500,ルノー、コンテッサなどリッター未満360㏄以上のスモールカーがはやり始めた頃、こんな目くらまし試作車も期待を持って迎えられたのだ、それにしてもこのフロントのデザインは東ドイツのトラバントみたいだとこき下ろす記事もあった。

 

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 さて、キャロルに戻るが、リヤに横置きされた総軽合金製水冷4気筒358㏄エンジンは、ホンダスポーツ360よりもっと古く有名な贅沢エンジンだ、4サイクルOHVで圧縮比を10.0と、当時としてはとんでもないハイチューンだ、まだ普通ガソリンのオクタン価が低い時代、圧縮比を高く設定した分、点火タイミングを遅くしなくてはならなかったのではないかと私は考えるのだけが、どうだろう。

 とにかくこの18馬力エンジンで500キログラムあまりの車体を押すのは少しつらかったらしく、発信加速の遅さには定評?があった。

 

 それでも初期のスバル360やR360クーペよりずっと静かで自動車らしく見えた、それはこれもまたユニークなサスペンションによる乗り心地の良さのせいだったかもしれない。
 VWを真似たトレーリングアームは、フロント2本、リヤは1本の鋳鉄製とし、トーションバースプリングをなんとゴム製にしたものだった。

 このゴムのスプリングがもたらすクッションは実に抜群で、実はクーペもそうだったのだが、ふわりふわりと少し前方へ沈む感じは他では味わえないものだった。

 

 ついでに云うと、昭和40年のパンフレットには舗装平坦路燃費26km/lとある、今はやりの言葉で言うと昔の軽自動車は「エコカー」なのだ。

 

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 後部座席に乗せてもらうとまるで小型車、つまり軽自動車ではなく「自動車」に乗った感じがしたものだった、しかし数年前にちょっと座ってみる機会があったが、それはそれは狭く窮屈な座席だと思った、とはいえクーペのあの横になっても背中を丸めなければ乗れない窮屈さよりはずっとましだった。

 

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 そんなキャロルも最初は2ドアの単一グレードだったのが、デラックス、4ドアデラックスとバリエーションしていき、昭和42年には後期型になってエンジンも20馬力にアップ、ずいぶん走りも良くなった。

 

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 実はキャロル360が発売されてまもなく、キャロル600というのも売り出されていた、数ヶ月前にはマツダ700だったのだから「迷い」なのか「誤魔化し」なのかよくわからないがこちらはデザインはキャロルのまま、バンパーとモールによって軽自動車の寸法枠をほんの少しオーバーした小型車「自動車」で、28馬力のエンジンは、えっなんで、とおどろくくらい軽快な印象のクルマだった。とは言っても元々軽自動車の窮屈ボディを持つキャロル600がそれほど売れるわけもなく、ファミリア800の発売に伴いおよそ2年ほどで姿を消すことになる、従って後期型の600はない。

 

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 そしてキャロル360も43年には26万台あまりを売って生産を終了するのだが、その少し前にはこのキャロルにロータリーエンジンを載せる計画があったらしい、マツダは開発中のシングルローター360㏄のロータリーエンジンを載せたキャロルロータリーを当時の運輸省に形式申請したが、これに待ったをかけたのはFIAだったと言われている。

 

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 レースの世界ではロータリーエンジンの排気量はレシプロエンジンの2倍に換算されていた、このレギュレーションはレースの公平を期すために決められたものだが、運輸省はこれを理由にキャロルロータリーの軽自動車としての形式申請を却下したのだ。

 

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 国が自動車の自然な進化を妨げた形だが、もしもこの計画が成功していたらキャロルは後にシャンテの名前で発売されたボディにモデルチェンジしただろうし、これこそキャロルロータリーとして軽自動車の歴史を変えることになったことだろう、誠に残念な話である。

 そうなると私のキャロルに向けた羨望も倍加されたに違いない。         

posted by 健太朗 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | マツダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月21日

切替機の故障

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 しまった !! と思ったときはもう遅かった、うっかり電源を切ってしまったのだ。


 私のパソコンデスクの下には2台のタワー型デスクトップパソコンがある、名付けてKal-El3世とKal-El4世だ。


 しかし幅80センチのパソコンデスクにはモニター、キーボード、マウス、スピーカーはそれぞれ1セットしかない、ないというより置けないのだ、そこでパソコン切替機のお世話になる。
 そして、電源のコントロールはスイッチ付きのタップを使っている、待機電力というやつを節約するためだ、自作も含めてほとんどのパソコンはコンセントを指しておくとUSBやマウス・キーボードなどがいつでも使えるようになっている、設定を変えればこれらのデバイスから電源オンにできるようになっているのだ。


 けっこう私は保守的なけちんぼで、電源はスイッチで、いらない電気は消しましょう、という性格なのだ。
 だからスイッチ付きのタップを使っているのだが、このスイッチをプリンターと間違えてパソコンの方を切ってしまったのだ。

 

 まぁだいたい普通は電源を落としたからと入ってハードが壊れることはほとんどない、でもこの切替機は壊れてしまったのだ。


 こうしてパソコンを2台置くようになってから、もうかれこれ7-8年になる、つまり今まで使っていた切替機は古いのだ、それにこいつははじめから調子が悪く、うまく切り替わるかどうかはこいつのそのときのご機嫌による、ボタンを押して画面が切り替わってもマウスだけが認識されない、なんてことはしょっちゅうだ。


 よくまぁ長い間使ってきたものだ、と、これだけ悪口を書くのだからこいつのメーカー名は書かないでおこう。

 で、ヨドバシカメラが京都駅前の近鉄跡にできたのでちょっとのぞいてきてやろうと思って、クルマ出かけたが、なんと5000円の買い物をしなければ1時間500円の駐車場代を払いなさいという。

 なんだかなぁ、とおもったがそれならこの際、壊れた切替機を交換しようかと思って、
一応ネットで調べて某メーカーの4000円程度のものを選んでおいたのだが、ヨドバシではこれが5000円以上していたので、店員さんに相談したところ、バッファローの方が安くて信頼性があるという意味のことを遠回しにおっしゃる、のでこちらにすることにした。

 

 モニター、USBマウスとキーボード、それにスピーカーも切り替えられて手元スイッチ付きだ、これで4400円あまり、駐車場は5000円やし こまったな、と思って店員さんにそっと言ってみたところ。
 じゃあ、レジがすんだらもう一度ここへ来てください。ときた。


 結局2時間無料にしてくれた、なんて親切な店員さん、ありがとうと言って別れたが、余った時間、ぶらぶらしていたら他に5000円以上の買い物をしてしまった。

 

 今この切替機は私のパソコンデスクの裏でまじめにやってくれている、手元スイッチ(ぽちょっ)で確実に切り替えてくれるのが実にうれしい。

posted by 健太朗 at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | パソコンの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月10日

シビックの源流

  シビックがなくなるとかなくならないとかのニュースが飛び交っている。


 今のところ最新の情報では、ホンダの伊藤社長は「シビックブランドを国内から無くすとは言ったつもりはありません」とのコメントだそうだ、しかし、現在国内で販売中の『シビック・セダン』は次のプラン(フルモデルチェンジ)ではやらないつもり、とも伝えられており、いずれシビックの役割も終えることになるだろう。


 時代も変わり、役割が終わってもいつまでも作り続けて、過去の栄光を汚しているクルマもあるのだから、ホンダの潔さに拍手、といったところだ。
 そんなことを想いながら、クローゼットをごそごそしているとシビックのカタログが出てきたのでちょっと掲載してみる、と同時にそのシビックの源流とも言うべき写真もあったので漏洩?させようと思う。

 

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 本田宗一郎親父さんは、私のような自動車屋のはしくれとしては憧れ、尊敬する大先輩である。
 その親父さんがこだわり抜いて創ったAS280Eエンジン、総アルミ製水冷直列4気筒ツインカム531㏄CVキャブレター4連装44馬力、つまりホンダスポーツ500のエンジンだ、これはS360に始まって後にS600,S800と大きくなっていった、S800は当時ホンダでは「100マイルカー」と豪語した、確かにこれは800㏄という小さなエンジンにしては高性能で、0-4加速を16秒という速さだった。


 ホンダスポーツの話をするときりがないので次にいく。


 つまりこのエンジンを700㏄1キャブ52馬力にデチューンしてFRの小さなライトバンに載せたがL700Mだ。


 そして昭和40年第12回東京モーターショーにホンダN800が展示された。
 これは800㏄シングルキャブ65馬力を載せた、全長3720mmという小さな2ドアセダンだ、写真を見るとハードトップにも見える。


 私も実際に東京モーターショーでこのクルマをみているはずなのだが、どうも興味がなかったらしく、あまり覚えていない、まさかこれがシビックのようなセンセイショナルなクルマに化けて出てくるとは思っていなかったようだ。


 L700バンの方は実際に発売されて、私も整備に携わったことがあるのだが、商用車にこのような高回転エンジンは少しく乗りにくいイメージだった、ただ、T360と同じようにそのサウンドだけはホンダスポーツそのままで、たしかコラム右シフトレバーだったと思うが他の同クラスのクルマたちとはひと味違っていてこれもまた楽しいクルマだった。


 残念ながら経済性や耐久性にも問題があったのか、N800の方はついに発売されなかった、そのかわりN360がヒステリックに大ヒットとなるのである。
 そしてそれから3年後の昭和43年第15回東京モーターショーにはホンダ1300が登場するのだが、至高のメカニズムDDACは世間に受け入れられなかった。

 

 

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 N800から7年たった昭和47年、シビックが大ヒットとなるのだが、すでに本田宗一郎親父さんの意向は反映されず、ツインカムや4連装キャブレターなどの複雑なメカニズムと高回転高性能にこだわった宗一郎エンジンとは真逆の、おっとりむっくりの普通の乗用車エンジンに変わったのである、それはホンダが大きく変わった歴史的瞬間でもあった、と私は思っている。


 とはいえやっぱりホンダのクルマなのだから、当時の大衆乗用車の中では走りが良く軽快な印象トップクラスだった、ただ、トルクを高速重視にしてあるのでルノーやコンテッサよりもクラッチミートがしにくかったし、そんな際のボディにかかる振動などから、柔な感じは否めなかった。

 最近の雑誌で初代シビックのスタイリングを「シンプルでトレッドを大きくとってワイドなボディとし、それによって室内スペースを大きくしようとする試みがなされていた」などと書いているのをみたが、当時この足を踏ん張ったワイドなデザインがいかに新鮮なものであったかは今では想像に難く、その後の国産車のデザイン寸法取りが変わってしまったほどだった。

 

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posted by 健太朗 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする