2010年03月23日

貴婦人 CL72

 カミカゼタクシーという無謀にすっ飛ばすタクシーが走り出したのは意外に古く、昭和30年代前半だそうだ、もうこの頃すでに自動車の性能が良くなりタクシーの賃金の話題が社会を賑わしていたのだ。(稼ぐ為に速く走ると言うこと)

 そして二輪車の方も凄いことになっていた、鈴鹿サーキットのレースは世界中からオートバイと人が集まっていた、特に250㏄クラスのホンダRCとヤマハRDのデットヒートは白熱した。

 日本のオートバイは昭和20年代後半には、なんと133社が林立したという、昭和、ツバサ、トーハツ、シルバーピジョン、ラビット、チャンビオン、ライラック、メグロ、陸王、それにブリジストンなど、ちょっと思い出すだけでもきりがない。
 しかしそれがホンダ、ヤマハ、スズキ、川崎メグロの4社に淘汰されたのは、朝鮮戦争が停戦になってからほんの数年の出来事だったそうだ。そしてそれから又数年のうちに世界中のオートバイメーカーがホンダに駆逐された、インディアン、ノートン、MVアウグスタ等が消えた。
 ちなみにこの時代オートバイのことを、単車、と言った、これはサイドカーの、側車、に対してこう呼んだらしい。

 そういう単車熱にうかされ、マフラーのサイレンサーの先を切断してばりばり大きな音を立ててすっ飛ばす連中のことを人はカミナリ族と呼んだ。
 近年の暴走族と違うのは、少し大きな音を立ててスピード違反をする以外、ほとんど悪さをしなかった、純粋にオートバイが大好きな連中だった。

 で、私もまだ美しい十代の頃、こんな連中の仲間入りをした時期が少しだけあった。
 ホンダCL72というそれはそれは貴婦人のように美しいスクランブラーに魅せられて、少ないお小遣いをはたいて買ったものだ。

                   Cl72

                     この写真は後期型、ブレーキが大きくなって
                      前はツーリーディングになった

 カムに乗る、という言葉がある、エンジンのパワーとトルクが互いに一番大きくなる回転域を保って走ることを言う、つまり充分にふけ上がった状態のことだ。
 CL72のマフラーは個性的で膨張部が全くない、従って排気音もまた個性的で、このカムに乗った時の音がこの単車の最大の魅力でもあったのだ、そしてスクランブラーの性格上それほどのスピードでなくともこの状態を体感することが出来る。
 ただし、少なくとも7000rpm以上廻っているのだからとっても賑やかである。

 その点CB72はスピードスターなのでこのような情緒はない、ちょっとスプロケットを交換しただけでローギヤで80Km/hも出てしまうようなくるまに乗ったことがある。
 CB72の場合はスプロケットの前後比を高くして高速タイプにするのだが、CL72の方は逆に低速タイプに改造する。(それでも逆に高速向きに改造したのは誰だったかな。)

 今のようにモトクロスがスポーツとして成り立っていない時代のことだから事故も多かった、私自身人馬ともに傷だらけになった記憶もある。

 しかし大概は街乗りで、アイビールックに倣って短めのコットンパンツにデニムや赤いチェックのボタンダウン、ハンチング帽や中国風のマシュマロのような帽子など、流行りのファッションでカミナリ族を気取ったものだ。

                   Cl72_2

                                     冬 宝ヶ池サーキットにて
                           私のは前期型のType1、思いっきりブレーキを
                           踏んでも滅多にスリップしない。

 ある夏の日、仲間達と日本海まで海水浴ツーリングに出かけたその帰り道のことだ、先頭を走っていた私は、ちょっとレーシング仕様に改造したホンダS600を見つけて併走、S6のサウンドとCL72のコーラスを楽しんでいた、私の後ろには7台のCL72とCBやCP、ヤマハYD1等がバックコーラスをつとめる。

 と突然、不調和音とも言える爆音とサイレンが聞こえた、CB450を改造した白バイだった、白バイの若い警官は私たちのグループを制止した。
「君たちはどこまでゆく」
私は京都へ帰ると答える。そして彼はこうのたもうた。
「今からは俺が先導する、俺を追い越したらスピード違反で捕まえるからそう思え」
 せっかくのツーリングが台無しだと思ったが、仲間達は渋々これに従うしかなかった。

 ところが、詳細は想像にお任せするが、白バイが先導するが故の走りやすさがあるもので、それから数時間、私たちはこの狂った白バイ野郎のおかげで、実に安全で快適なツーリングと誰にもとがめられないスピード違反とを楽しんだのだった。

 これも今ではおとぎ話のようなもんやな。

 

                    Cb72
                                 CB72  スーパースポーツだ。 

                    C70

                               C70 これがうわさのドリーム号だ。

 

 

posted by 健太朗 at 14:16| Comment(8) | TrackBack(0) | バイクの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

壊れたノートパソコンのHDD

 弟のうちに遊びに行った際、壊れたパソコンを見つけた、どうするの、と聞くと、ほかす、というからもらってきた。

 

 東芝Qosmioというノートパソコン、スイッチを入れてもモニターに反応がない、電源のパイロットランプは赤からグリーンに変わるが、Windowsが立ち上がっている様子がない、HDDのシーク音が少し聞こえるだけだ。

 

 どうしても直さなければならないわけではないので、好奇心にまかせて分解してみた。写真を撮るのも忘れて夢中になってしまったが、ディスクトップとは全く違うレイアウトなので興味は尽きない、しかしチップの配列など全く判らないことも多い。

 判ったことは二つ、ハンダの亀裂が1カ所見つかった、もう一つは冷却ファンが二つのうちひとつが廻らないということ。ハンダはハンダごてを当ててみたが、これで直ったわけではない、回っていないファンはCPUクーラーではないのでどこかでオーバーヒートしたのかもしれないが、故障の原因は不明だ。

 

 そこで考えた、この東芝製のHDDが無事なので、前回のNEC LaVieにこれを移植してここにWindows7 RCをインストールしてみることにした。

 

Hdd

東芝製HDD 100GBだがフォーマット後も74GBしか認識していない、

リカバリ領域はWindowsではフォーマットできないのかな。

 

 いつものように、まずBIOSで起動順位を換える、だが既にDVDがトップに設定してある、そういえばこのPCではDVDが挿入してあるとWindowsが起動しない、それじゃそのままと言うことで。

Windows7インストールDVDをスタート、loading filesから言語とキーボードの設定、今すぐインストール、と進む、そしてライセンスに同意、新規インストールを選ぶと開始する。

 

問題はその後に発生した、ドライバーの読み込み画面に、ドライバーが見つかりませんでした、と表示、HDDのパーティションが表示されない。

 

7

 

一応NECのサイトでHDDドライバーなるものを探してみたが、そんなものがあるはずもないし聞いたこともない、XPRAIDドライバーが必要な時にこのようなメッセージが出るのだが、7には必要ないはずだ。

ちなみにVistaでも同じようにドライバーで止まってしまう、しかしXPならインストールできるのだ、全く不可解というほかない。

 

これをやる前に、この東芝製のHDDKal-el4世のGIGABYTE GA-G33M-DS2RIDEポートにつないでデータ救出に成功している、このパソコンはVistaが入っている。

外付けのキットを使ってUSB接続を試してみたところ、Kal-el4世のフロントUSBポートでは認識せず、リヤポートで認識した、このフロントポートはバスパワーが弱いのだ。そしてP5B DXではどのポートでも認識できた。

 

ということは、LaVieの電源に問題があるのか、それとも相性なのか、不可解だが東芝製HDDをあきらめて、外付けHDDとして元の持ち主に返したところ大変喜ばれたので、これで良しとする。

 

 

posted by 健太朗 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | パソコンの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする