2009年11月15日

ネットの与太話

 こんな記事を見つけた。

  どうやらネットの世界では、
  妙なウワサでもちきりとか。


  その内容は、なんと驚天動地。


  11月27日に、アメリカ政府が、
  宇宙人の存在を発表するというものです!


  ホンマかいな・・・


  しかし、手詰まり感のあるアメリカ経済。
  大統領の支持率も急降下のようですし、
  ここで一発、起爆剤として、
  宇宙人の発表をするかもしれません。


  共同で何か開発しているなんて、
  もしも発表したら、
  落日の米国経済と、斜陽の米国の威信は、
  一挙に挽回かもしれません。


  まあ、もとよりネットの与太話でしょうが、
  いや、ホントだったらえらいことで。
  お恥ずかしい話ですが、少しワクワクして注視してます。


 もういくつ寝ると・・・ さて、単なる噂なんだかどうなんだか。
 でもちょっと楽しい与太話だ。

posted by 健太朗 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月09日

犬好きのキャリーバン

 まぁこれは比較的最近の話だが全く迷惑な話だ。


 わりに綺麗なキャリーバンを下取りした、これも繊維関係の会社で使っていたものなので、ちょっとくらい汚くても掃除をしっかりすればいい中古車になるとたかをくくっていたのだが・・・。

 

 なにしろ京都の呉服業界の不況は凄いもので、好景気な時には運送屋のトラックなどで混雑していた室町通りが、今や烏丸通りの抜け道になっている。
 このキャリーバンを使っていた会社の社長も暇なものだから、何とか言うかわいいわんちゃんと遊んでいるうちに大型犬が欲しくなったとかで、数ヶ月前からゴールデンリトリバーのでかいやつを飼っているという。
 で、この犬を運動させるためには街中ではだめなそうで、どこかの公園までこのキャリーバンに乗せてゆく。

 

 これがなぜ迷惑かというと、におい、である。 臭い、匂い、ニオイ・・・・。


 クルマに乗り込んだとたん、うぅっ、息を詰めたくなる臭い、こんな凄い臭いでも不思議なもので毎日犬と接している飼い主にとってはくさいとは感じない、くさいどころかいい香りなのだから面倒だ。

 

 私は犬は嫌いではないし、ご近所のわんちゃんはいずれも私によくなついてくれるが、自分で飼ったことはないので、犬になめられることも犬の鼻をなめることも好まない。
 もちろん臭いも全くいやなのだ。

 だからこんな凄い臭いのするクルマを中古車として小売りすることは出来ない、クレームが付くに決まっている、と考えるのだ。

 

 そこでまず、車室内の簡単にはずせるものはすべてはずす。

 マット、シート、内張、カバー、等々である、これらを洗剤でよく洗ってよく乾かす、それからダッシュボードにカバーを掛けて室内全体を洗剤でよく洗ってよく乾かす。

 これらは比較的シンプルな商業車だから出来ること、これが乗用車だったら以前紹介した、水浴びをしたマークⅡ、のように大変なことになる。

 とはいえこれでも結構大変な作業だ、3日ほどかかってすっかり臭いが無くなった、とはいかなかった。

 こびりついた臭いは、どうしても消えてくれない。
 だがシートなどに鼻をくっ付けてくんくんやっても洗剤の臭いがほんのり香るだけだ、マットもダッシュボードもそうだ、でも閉め切ったドアを開けたとたんに匂ってくる。
 どこに臭いの元が潜んでいるのだろうか。

 

 そうこうしてるうちになんとこのクルマに買い手が付いた、納車日も決まった、時間がない。

 ファブリーズというものがあるそうな、ものは試しで使ってみた。
 臭いが消えた。


 明くる日出勤してドアを開けたらやっぱり匂った。
 納車日、ファブリーズを一本使い切って納めた。

 

 一月たってもユーザーからクレームは来なかった。
 そこでこちらから、調子はどうですか、と訪問してうかがった。

 なんと、そこで私が見たものは。

 ガレージに置かれたキャリーバンの中から、2匹のジャーマンシェパードが私を威嚇するようにバウワウと吠えていた。

posted by 健太朗 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | くるまの雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

沖縄から来たヨタ8

 私は杉田二郎さんによって、戦争を知らない子供たち、と歌われたまさにその世代である。
 父親の戦争体験を聞かされたり、同級生に戦争孤児がいたり、傷痍軍人と言われる人たちが道ばたに座っていたり、まだ私たちの子供時代には生々しい戦争の残り香が漂っていた。


 とはいえ、今思えば京都の商家に育った私は、そんなことに頓着せず、のほほんと育ったのだろうと思う、だから初めて原爆ドームの前に立った時の衝撃はかなり大きかった。

 衝撃と言えば、沖縄旅行であの広大な基地を目の当たりにしたときもそうだった。

 昭和20年の敗戦後、アメリカによって占領された沖縄は、昭和47年5月にやっと返還されたが、それから40年近くたっても未だに米軍基地に悩まされているという事には、日本国民の一人として申し訳ない思いがないわけではない。

 

 戦前の沖縄県の道路は左側通行であったが、昭和20年6月から米国の法律で右側通行となっていた、そしてようやく左側通行に戻されたのは昭和53年7月30日のことだった。
 33年ものあいだには日本の高度成長があり、沖縄にもすっかりクルマが増えてしまっていた、ひと晩、全県の交通を遮断して道路標識などを交換したとはいえ、かなりの混乱があっただろう事は想像に難くない。

 

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 ちょうどそんな頃に中古車として私の自動車屋に入ってきたのが、まだ沖縄ナンバーを付けたままのトヨタS800、略してヨタ8、だった。


 この左ハンドルの希少な国産車は729車両と呼ばれた。
 左側通行の道路交通法施行に対応したクルマを730車両というのに対してそれ以前の車両をこう呼ぶのだそうだ。

 

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 トヨタS800というのは、当時の大衆車パブリカの車台と空冷水平対向2気筒800㏄エンジンを利用した2座タルガトップロードスターである。
 あの先進的なアルミダイカスト製ツインカム4キャブレターのホンダS800とは対照的とも言えるエンジンだが、それでも0-400m発進加速18.4秒と155km/hの最高速度という性能を誇っていた。

 

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 もちろんホンダには及ばないが、徹底した空力対策のこれまたホンダとは対照的な未来志向のボディから絞り出された性能で、乗って楽しいのはホンダに勝るとも劣らないものであった。

 

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 そこに左ハンドルというおもしろい要素が加わったこの沖縄仕様のヨタ8,これはすぐに売れると思ったのだが、それは甘い考えだった。
 シルバーメタリックの美しい外観とは裏腹に、沖縄で酷使されたエンジンはすでに元気なく、オイルタペットはかたかたと大きな音を立て、サスペンションや車台はかなりの腐食が見られた。

 その頃まだ沖縄に旅行するにはパスポートが必要で、1ドル360円の時代だ、私ももちろん彼の地を踏んだことはなかった、こんなクルマは珊瑚で固められた海岸の道を潮をかぶりながら走っていたのだろう、などとロマンチックな悪口を言ったものだ。

 

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 極めつけはスカットル部に刻印された車体番号が、腐食の為に読めなくなっていたのだ。
 雪国のトラックならともかく、乗用車の車体番号は高いところにあるので腐食の為に読めなくなるなんて聞いたことがない。


 実はこれを直す為には車体番号を打ち直さなければならないのだ、つまり新しい番号を刻印するのだ。これは陸運事務所でお役人に打ってもらうと言うことになる、沖縄ナンバーを生かそうと思えば車ごと沖縄の陸運事務所へ行かなければならないことになる。

 

 またそこまでしなければ、左ハンドルの国産車を本土で新規登録、つまり京都ナンバーで登録することは出来なかった。
 かくして沖縄から来たヨタ8は一台の自動車として生きる事は出来なかったのだ。

 

 これも戦争の残り香の一つだったのかもしれない。

 

posted by 健太朗 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | トヨタの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする