2009年07月13日

親爺さんのグロリヤ その3

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やがて私も普通自動車運転免許をクラウンRS40でとるのだが親爺さんのグロリヤに乗るようになって驚いたのはこのクルマの乗り心地と乗り安さだった。

人間工学、等という宣伝文句もあったが、シートの高さと位置、背もたれの角度、ハンドルとペダルの位置などが実にうまく作ってあった。

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例えば、アクセルペダルとブレーキペダルの高低差なんて考えてみたことがあるだろうか、アクセルからブレーキ、ブレーキからアクセルとペダルを踏み換える時に、最適な高低差というものがあるものなのだ。

 

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 ともあれリクライニングシートやチルトハンドルが出来る前のクルマとしてはこれが一番よかったと私は思っている。

ただし、スーパー6やグランドグロリヤではおそらくシートの厚みなどが違っていたのだろう、少し違ったように思う。

 

扱いやすさや乗り心地の良さというものは、エンジン性能や静かさにも影響されるが、サスペンションやステアリングの構造や工作精度、微妙な設定などに寄るところが大きい、設定は現在のようなコンピュータ制御の時代とは違って、パワーステアリングさえないのだから、低速ではかるくてとりまわしをよく、高速では直進性などを考慮した最適なものにする為には高い技術力が必要だ。

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その点プリンスは、そして中でもこのグロリヤの、前はダブルウイッシュボーン後ドデオンアクスルというサスペションは当時のこのクラスでは特に優れていたものと思う。

当時鈴鹿で行われたグランプリレースで、グロリヤがクラウンに勝てなかったことと、セダンとしての乗り心地がグロリヤの方が良かったこととは別の問題だ。

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他のページにも書いたが、後のドデオンアクスルは当時も話題になったが、デファレンシャルを車体側に取り付けてバネ下荷重を極力軽くしたもので、これによりリーフスプリングをたった二枚にしてしまった。
 今のように独立懸架が当たり前の時代にはリーフスプリングが二枚、といっても理解されないかもしれないが、実はこの時代までの乗用車はリーフスプリングが少なくなるごとに乗り心地が良くなっていったのである。

 

しかしまだ今ほど鉄などの原料や加工技術が良くなかった時代のこと、たった二枚のリーフの耐久性などは余りよくいうことは出来ない。

今なら想像も出来ないだろうが、このリーフを外してきて、大ハンマーでふらふらになるまで叩いてその、へたり、を修正するのは私たち新米メカニックの役目だった。

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 何度も書くが車検ごとにサスペンションを分解するなど当たり前なのだから、こんなことがあっても不思議ではなかったのだ。

 

それにしてもこの美しく魅力的なプリンスのグロリヤに、当時つまりリアルタイムで乗る事が出来たことは実に幸せなことだった、と思っている。

posted by 健太朗 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | プリンスの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

親爺さんのグロリヤ その2

 そしてこのエンジンは初代スカイライン・グロリヤから使っているエンジンで既に十分こなれていたのだろう、だが、残念ながら堅牢なエンジンとはいえなかった、トヨタや日産より洗練されていた分、オイル漏れや雑音に悩まされたオーナーも多かったのではないだろうか。

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                   初代スカイライン
 
 親爺さんのこのデラックスも、いつでもエンジン廻りはべたべただった、オイルシールなどいくら交換しても同じことだったし、イン・アウトのマニホールドのガスケットも漏れることが多かった。

 

ある時、私は行けなかったが、富士スピードウェイまで走ったことがあった。まだ東名高速はなく、名神高速も栗東までの時代、富士まで片道12時間あまり掛かったそうだ。

これほどの長距離を走るのだからもちろん事前の整備は完璧に行ったしオイル交換をして流行のSTPという添加剤も注入した。

 

しかし帰ってきたグロリヤを見て驚いた、エンジンががらがらがらがらと大きな悲鳴を上げている。まさかレースに出たわけでもあるまいし、と思っていたら親爺さん「タペット調整しといてくれ」。

今でいうバルブクリアランス調整だ、おっと今はそんなことをするようなクルマはもうない。

 

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まだ工作精度が低かった時代、バルブを開閉する装置の一部に少しだけ隙間を作って膨張代としていたのだ、この隙間が、新しいオイルに添加剤までおごったにもかかわらず、ほんの1000㎞弱の連続走行で、大きな音がするほどに摩耗してしまったのだ。

こうして文章に書くとたいそうだが、ヘッドカバーを外してちょいちょいと調整すればものの10分ほどで元の静かさを取り戻したものだ。

もちろん漏れとともに大きく消費したエンジンオイルを補給したことはいうまでもない。

 

話を最初に戻すが、鈴鹿サーキットへ行ったグロリヤは親爺さんの娘も含めて6人乗車だった。当時このクラスのクルマを中型車と呼んで、ベンチシートの6人乗りが標準だった。前に3人座っても十分な広さがあったのは、ドアが薄くてドアガラスが平板だったことが大きいと思うが、運転席自体がドア寄りに作られていたせいもあるだろう、ヒルマンのようにチェンジレバーを右手で操作するものもあった

 

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 それでも3人の真ん中に座る人は大きなフロアトンネルをまたぐように足を広げる必要があった、グロリヤなど国産車は運転席の方へ足を伸ばすとクラッチを踏むのにちょっと邪魔になったが、米車などはクルマ自体大きなせいもあるがオートマチックなので問題はなかったのか、アメリカの映画やドラマで後席を空けたまま(ミニスカートの)彼女を真ん中に乗せているシーンをよく見かけた。     

                                        

posted by 健太朗 at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | プリンスの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする