2009年05月27日

憧れのホンダスポーツ・02

   当時まだ中学生だった私はアメリカから輸入のテレビドラマ、ルート66(C1コルベット)やサンセット77(サンダーバード)、国産ドラマでは月曜日の男(MG TDミジェット)、バックナンバー333(コンパーノ・スパイダー)などで活躍するスポーツカーは手の届かない夢とあこが れのものだったが、ホンダの、当時としては珍しい新聞広告のこの価格を見て、なぜか、これなら買える、と思った。

    

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  なにしろこの頃のトヨペットコロナ(利休色のコロナ )が72万円、クラウン(駐車場のクラウン )が105万円、パブリカ38万9千円、それにまだ開発中だったトヨタS800は59万2千円の予想だったのだ、そして軽自動車のスバル360でさえ37年に値下げされたとはいえデラックスで39万円もした。

      
 だから、スポーツ50045万9千円は割安と感じて当然だったのだが、しかし明くる年、ガソリンスタンドでのアルバイトが時間あたり60円だったのだからこれは無謀な想念だった。      
      
   その後、自動車屋になった私は何台ものホンダスポーツにかかわった、スポーツ600,800,それにS2000にも少しずつでも関われたことは幸せなことだったと思う。      
 しかしあの時、これなら買える、と思ったのに40年以上たった今でも憧れのホンダスポーツのオーナーになったことはない。

      
S600       
       
 S800


 自動車屋になって間がない頃、勤め先の親爺さんが私たち新米のメカニックを鈴鹿サーキットに連れて行ってくれた。       
 その頃の鈴鹿はまだ遊園地の施設はなく、ただっぴろい所にサーキットだけが横たわっていた。クルマはどこにでも停め放題、どこででもミニレースが出来るくらいの広いところだった。

 

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 まだ二輪のレースが多かったパドックに入るのも比較的自由で、大きなレースがない限りパドック内に駐車することも出来たくらいだ。       
      
 そのパドックにS800が十数台も置かれていた。これは試乗車で、実は誰でも鈴鹿のコースでS800に乗ることが出来たのだ、だが悔しいことに私はまだ軽自動車の免許しか持っていなかった。

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   余談だが、早生まれというのは人より早く生まれたということかと思えばそうではなく、友達の中で免許を取れるのが一番遅くなるのが早生まれなのだ。      
   それでも助手席でのサーキット、そして憧れのクルマ初体験は今でも強烈な印象として残っている。

 

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当時のパドックではこんな光景も見られた。ホンダ最初のF1、RA270をテストするロバート・バックナムとリッチ・ギンサーだ。
      
      
      
      
 

 

 

 なんといってもそのエンジン音だ。オールアルミ製の真っ白なエンジンの組み立て式クランクシャフトはなんとニードルローラーベアリングを使っていた、これはそれまでのホンダ二輪車と同じで、その頃乗っていたCL77とある意味共通の雑音を発していたのだが、自動車のエンジンでは世界初ではなかったろうか、そのベアリングが奏でるホンダスポーツサウンドは自動車大好き少年の心を魅了するにあまりあるミラクルサウンドだった。

      
  しかしこのエンジンの大きな欠点もこのベアリングにあったようだ。

posted by 健太朗 at 15:18| Comment(2) | TrackBack(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

憧れのホンダスポーツ

 レクサスからIS250Cというカブリオレモデルが発表された。
 日産の370Zロードスターは今、大きな話題になっている、またスバルとトヨタの小型スポーツカーの共同開発は、順調に進捗している、というニュースもある。
 外国車では、MINIコンバーチブルやBMW Z4など、こんな元気のない時代にスポーツカーの話題に事欠かないというのは実にうれしいことだ。

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 だがそんな中、生産を中止するスポーツカーもある、ホンダS2000、インテグラもそうだ。


 ホンダは時代の変化に敏感だ、というより、ホンダは時代の流れを読むのが実にうまい。それは、スーパーカブ、CB72、N360、シビック、シティ、アコード等々、数多いヒット作やCVCCシビックに始まりHVインサイトに至る公害対策車、更にホンダのレースとスポーツカーの輝かしい歴史を、そしてその時代を見ればよくわかる。
 そういう意味ではホンダがレースやスポーツカーからの撤退するというのは、ホンダ一流の時代の読みなのかもしれないが、ファンにとっては寂しい限りだ。

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 昭和38年、アメリカではオートバイと呼ばずにホンダというくらいに、二輪車で世界制覇を果たしたホンダは四輪車に進出、その最初のクルマはホンダスポーツ360だった、これは惜しいことに、ついに発売されなかったが、オールアルミ製DOHC、4連CVキャブレターのエンジンはT360という軽トラックに移植された。
 このT360軽トラの楽しさは別の機会に書きたいと思うが、こんな楽しい軽トラは後にも先にもこれしかない。

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 スポーツ360と同時に発表されたスポーツ500は38年7月に発売され、大きな話題となった、私はこれこそが日本の自動車社会の幕開けだと思っている。
 発売された当初の新聞にスポーツ500の一面広告があった、私はこれを今でもどこかに残しているの思うのだが、いくら探しても出てこないので想像していただきたい。

 アメリカ大陸の砂漠地帯を貫く遙かな直線道路をただ一台左ハンドルのスポーツ500が疾走する、これを正面やや上のアングルでとらえた写真、新聞一面の大きさだ、大柄なアメリカ人が二人上半身をクルマからあふれ出すように乗っている。
 アメリカ大陸でテスト走行する日本初の100マイルカーホンダスポーツ500、などのキャッチコピーとともに45万9000円の価格が表示されていた                                      

posted by 健太朗 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ホンダの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

Lois (Eee PC) に ATOK をインストール

 私は初めてパソコンにふれたとき、それがたまたま一太郎をインストールしたパソコンだった、以来ワードより一太郎に親しみ、おかげでワードの使い方がいまいち心許ない。

 しかも仮名入力であるからATOKとMS-IMEの関係もまたしかりである。

 

 Eee PCにはスターサイト・ライターというワードによく似たワープロソフトがプリインストールしてあるので、少しはワードに親しもうとあえて一太郎をインストールしないで使っているのだが、やっぱりどうも使いにくい。出先で使おうとするとなおさらだ。

 これはソフトやハードの善し悪しではなくて、慣れの問題だ。

 

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 まぁワード風のデザインは追いおい慣れるとしても、入力をちょっと間違えたときなどIMEでは辛気くさくて仕方がない。

 若い方はともかく、パソコン使いにもたもたする世代の方々には同じような思いの方もおられると思う。

 

 そこで、せめてATOKだけでもインストールしたいと思ったのだが、ネットブックというジャンルのパソコンには光学メディアドライブがない。つまりソフトのCDが使えないのだ。

 

 なので、まずLANでつながっているパソコンでメディア共有設定をして簡単インストールしようと思ったのだが、「アクセス権がない」というエラーが出てどうしてもうまくつながらない。

 

 それじぁと気を取り直して、SDカードにCD丸ごとコピーして、ATOKだけをインストールするという方法をとった。

 これは意外と簡単で、SDカードにコピーするのに10分ほどかかったが、そこからEee PCにATOKをインストールするのは非常に早くほんの1~2分で終わった。

 

 たぶんこの方法だともっと大きなソフトでもCDからインストールするより早いのではないかと思う。

 近頃USBメモリーに入ったソフトを販売しているが、あれなどネットブック向きかもしれない。

 だが、最新のソフトはDVDを使っているので安いSDカードではコピーに時間がかかる心配がある。

posted by 健太朗 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ネットブックの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする