2008年08月30日

違法駐車?

 久しぶりに河原町通りを歩いた。

 

 三条と四条の間、左側(歩道寄り)車線に赤いコーンがたくさんたっている、だから右側(中央寄り)車線は渋滞してのろのろ

 

 どうやら違法駐車を閉め出すためにコーンをおいている様子。

 

 これって、ぎっしり駐車しているのと同じことではないのかなぁ。

posted by 健太朗 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

ラウムのオーディオ

 ♪ろばのおじさんちんからりん♪ 


 こんな歌を流しながらロバに牽かれたパン屋さんは、御者の後に置いたにゼンマイ式の蓄音機でSPレコードを回していた。

   ときどき針が飛んだりゼンマイが切れて変な音になったが、ボクたちはそんな歌を覚え、蒸しパンをかじりながら時には馬車に乗せてもらったり、ロバの背中に乗ったこともあった。

 移動する車の中で音楽を聴くと言うことはまだまだ大変な時代のことである。

 

 ちょうどそんな時代の中古車の商札に「ラ・ヒ付き」と書かれているものがあった、これは、ラジオとヒーターが着いてますよ、という意味だ。

 

 以前書いた「駐車場のクラウン」のラジオは真空管式で、スイッチを入れてから数十秒待たなければ音が出なかったし、あの独特の、ピーーガガー、という音もちゃんと聞くことができたのだった。

 

Photo

 

 カーステレオがクルマに着いたのは、昭和40年代始め頃のこと、クラリオンの吊り下げ式の4トラックが始まりだ、カーステレオ本体の上に4トラックカートリッジを置いてレバーを倒すとカートリッジが固定されて再生が始まる。

 エンドレスで2トラックずつ計4曲の歌謡曲やムードミュージック入っていた。

 4トラックが8トラックに変わる頃には本体の前面から同じ大きさのカートリッジを差し込む式に変わって、たくさんの曲が収録されるようになった。


 いずれも大きさはA4判くらいあって厚みも10センチ近くあった。重いものだがその代わりダッシュボードも鉄板製か鉄の骨組みがあったのでブラケットを作ってグローブボックス下に吊り下げたものだった。スピーカーは10ワットくらいの小さなものをリヤシートの後ろに取り付けた。
 それでもモノラルの電気蓄音機で聴いていた音楽はまるで違う曲かと思うほどいい音に聞こえた。

 このカートリッジは後にはやった家庭用カラオケに使われていたのでおなじみの方も多いと思う。

 

 そしてやがてカセットに変わり、コンポ式の機械もはやったが、メーカー純正カーステレオがダッシュボードにビルトインされるようになると自動車屋の「カーステレオ取り付け」という仕事はなくなっていった。

 

 カーナビゲーションは昭和の終わり頃にはクラウンなどにオプション設定されたが、アメリカの軍事衛星によるGPSが使用されるようになって急激に普及した。
 そして現在カーナビとオーディオが一体になって、システムは立派なコンピューターになった。

 

                    私のラウムに取り付けられたナビ一体オーディオは、実に様々なソースがある。Dvc00001

AM・FMラジオはもちろん、テレビはアナログ・デジタルフルセグにワンセグを切り替えて見られるし、DVDの映画も見られる。CDはMP3も再生できるしHDDに録音できるのでCDを積んでおく必要がない。
 更にSDカードに記録したミュージックファイルも再生できる。
 まだある、AUX端子にはiPodを始めあらゆる機器をつなげるので、つまり何でもこいである。実に贅沢だ。

 

 

 私は子供の頃から音楽は嫌いじゃなかったので、レコード盤やカセットなど結構たくさん持ち合わせている、曲数にすれば千数百曲か二千数百曲か数え切れない。
 ともかくオープンリールのテープに録音したもの以外はこれらのすべてをカーオーディオで聞くことが可能なのだ。


 もちろんこれにはパソコンを使って、相当な手間がかかるのであくまで「可能」なのだ。それでもこの数ヶ月にかけた手間で今すぐクルマで聞ける曲は千曲近くになっている。

 1,000曲を休みなく聴くと平均3分として丸2日以上かかる、東京まで4往復と云うところか。

 まぁ実際にはそのときどきのお気に入り、十数曲くらいを繰り返し聞いているのだが。

posted by 健太朗 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ラウムの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

FFワンボックス、ヒノ・コンマース

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 恥ずかしながら、記憶というものは非常に曖昧なもので、ヒノ・コンマースについて少し書いてみたが、資料を探し出してみればいくつも間違っているところがあって、今回は非常に時間がかかってしまった。

 

 コンマースというクルマは、非常に遅くて大きいクルマだという印象があったが、現在のクルマに比べると思いのほか小さい。
 最新のライトエースバンくらいの大きさで、車両重量も同じくらいだ。


 だがこれをたった35馬力の900㏄エンジンで走らせるのだから大きく重く感じるはずだ、それで10人乗せて最高速度は90km/hというのはちょっと眉唾物だ。

  「父ちゃんのコンテッサ」で紹介した日野コンテンサのエンジン・ミッションをそのまま前に持ってきたのかと思っていたが、ちゃんと180度回転させてエンジンが前になるようにして前輪駆動を成立させていた、しかもコンテッサより先に発売されているというから話はややこしい、ここのところは深く追求しないでおく。

 

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 元祖ワンボックスワゴンでFFだからエンジンがどこにあるかというとダッシュボードの下、ちょうどコンソールボックスやヒーターがあるところだ、大きな荷物をむりやり積んでいるような感じだ。

 全席が二人だから3列シートの更に後ろに横向きの2座があった、4メートル足らずのクルマに4列シートだから当然貨物のスペースはないし相当窮屈だったろう。
 11人乗りのミニバスもあって、当時は普通免許で乗ることができた。

 

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(この下にエンジンがある)

 

 

 

 

 私の自動車屋で整備をしたのは横も後ろも窓ガラスが着いた普通のライトバンだったが、ちょっと乗りにくくていいかげんにクラッチをつなぐとすぐエンスト、これはレリーズにベアリングではなくカーボンを使っていたせいもあるが、コンテッサも同じだからやはりボディの重さとエンジンが非力なためだったろうと思う。

 

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 だがあの頃こんなに大きな室内スペースを持ったクルマはなく、まるでバスに乗っているような気分が魅力的だった。
 前輪駆動と横置きリーフスプリングのサスペンションによって床が非常に低く、また内張なども簡素だから無駄のない広さだったのだ。

 

 軽自動車をのぞいて前輪駆動のワンボックス貨物車は国産車ではいすずの特殊車両に例があるのみで、現在でもライトエースやボンゴのようにライトバンはFRになっている、貨物が重いと前輪が浮き上がって十分なトラクションが得られないからであろう、外国ではシトロエンのH(アッシュ)トラックが有名だ。

 そしてホンダのステップワゴン以降、ワゴン車はFFを採用することが多くなっているが、どちらも純粋なワンボックスカーではない。

 

 先進的で夢のあるクルマだったが、昭和35年8月から37年10月までに2,350台が生産されただけで、日野自動車の発展に寄与することはなかった。

 唯一のFFワンボックスが忘れ去られてゆくのは残念でならない。

posted by 健太朗 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ヒノの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする