2008年04月29日

社長さんのグロリヤ

                              

Photo_4 3代目グロリヤ 

  A30型

 

 同業者から聞いた話、ちょっと年配でもう50年もマニュアルトランスミッション車に乗ってる人から電話があって、あるデーラーへクルマを見に行ったら明日中に契約するように言われたがどうだろう、というのだ。
 このデーラーの販売車にはMT車の乗用車がなく、どうやらライトバンを奨められた様子。
 聞けばどうしてもオートマチックには乗りたくないとおっしゃる、とりあえずちょっと待ってくださいと探してみれば別のメーカーのセダンにはMT車があった。
 と言うのだ。

 このデーラーの姿勢には問題ありだが、それほどクラッチの付いたクルマが少なくなったと言うことなのだ。

 そういえば以前はクラッチの修理は頻繁にやったが、近頃すっかりなくなってしまった。
 クラッチで思い出す話は沢山あるが、これもちょっとご年配の顧客でプラスチックの会社の社長さんの話だ。

 3代目グロリヤが発売された昭和42年、早速新型車をこの社長さんに納車した。
 グロリヤは、ロイヤルルックと呼ばれ、縦4灯のヘッドライトが特徴だ。

 プリンスという自動車メーカーは昭和43年、日産に吸収合併させられた。
 させられた、というのは時の政府の思惑で、日本の自動車メーカーを2つか3つに整理統合しようとしていたのだ。

 その第1弾としてプリンスに白羽の矢が立ったと言うことだった。
 そのプリンスの最後の作品がこのA30グロリヤだ。いや、最後の市販車だ。

 今上天皇陛下は皇太子時代、プリンスの愛好家だった。葉山や軽井沢ではご自分で運転されたらしい。
 皇室のロールスロイスやグロッサーメルセデスに替わる公式御料車になる国産リムジンが、プリンスロイヤルだ。

 だがこの国産初の本格リムジンが、宮内庁に納入されたのはプリンスが日産と合併した後だったから、これがおそらくプリンス自動車最後の作品だろう。
 このロイヤルのデザイン基調はグロリヤA30型のものにそろえられているのだ。つまり天皇陛下のロイヤルと社長さんのグロリヤは兄弟のようなものだ。

 まぁ、それがどうしたといえばそれまでの話しだ。


 ところがロイヤルには、市販されることのなかったプリンス製のATが搭載されているのだが、グロリヤはクラッチの付いたMTなのだ。

 社長さんにグロリヤが納入されてちょうど一週間目、クラッチが壊れたからすぐ来てくれ、との電話がかかった。

 急いでいって見るとグロリヤのクラッチは完全に滑っていた。

 つまりギヤを入れてクラッチを放しても、エンストしない動かない、の状態だ。そしてなんだか焦げ臭い匂いが漂っている。


 当時まだまだ新米の私にも事の次第は読めた。
 社長さんは約50mの距離を半クラッチのまま急いでバックしたというのだ。
 社長さんは急いでと言われたが、ぶぅんぶんとエンジン音を轟かせながらよたよたとバックする姿が容易に想像できた。

 もちろんこれは新車保証もきかず、私の手で真新しいミッションをおろしてクラッチ板を交換することになったのだ。

 果たしてこのクラッチ板は熱のため七色に変色し、ライニングは粉々に割れていた。

 クラッチとはこのように弱いものだ。

 

 と思っていたらその後、このクルマに社長さんが4年3万キロ、下取りして次のオーナーが4年5万キロ、一回もクラッチの故障はなかったのだから、クラッチとはこのように強いもの。

 とも云えるのである

posted by 健太朗 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | プリンスの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

タタのナノ

                                      Photo_5  

タタ・ナノ
 インドのタタ・モーターズが、米フォードモーター傘下の英国自動車メーカーのジャガーとランドローバーを買収するという。


 買収額は約2650億円とか、ガソリンの税を25円下げる、下げないでけんけんがくがくやっている日本に比べると、さすがに大国インドのニュースはスケールが違う。

 タタといえば、10万ルピー(約28万円)の低価格車、ナノを発売するということでニュースになったが、日本人にはとんとなじみがない。
 インドはスズキのクルマばっかり走っているものと思っていた。
 しかしタタはインドでは指折りの財閥なのだそうだ。

 そして日本からも何十億ドルかが流れているという噂もある。
 さらに、このナノを日本で発売する前に株式上場を行うという。
 高級車ブランドを手に入れた勢いで一気に世界に飛び出そうということらしい。

 さて私はナノというクルマがリヤエンジンで、しかも低価格であると言うことに興味を持った。

 昭和33年、マイカーという言葉を世に知らしめたスバル360は、あの小さなボディの後ろに、零戦のスターターエンジンとも噂される小さなエンジンを詰め込んで42万5千円で売り出された。

ドイツではあの世界大戦のまっただ中、キューベルワーゲンという軍事車両を作ったり、ルノー4CVを設計したポルシェ博士がヒットラーに頼まれて作った国民車フォルクスワーゲンはリヤにボクサーを載んでいた。そしてそのルノー4CVはフランスで、またイタリヤでもあのチンクェチェントが、爆発的に売れ、その製造会社の基盤を作ってそして歴史に残った。
 それらのクルマはみんなリヤエンジンで低価格なのだ。

 だが昭和43年、スバル360もキャロルも50万円近くしていたのに、FFのホンダがN360を30万円で発売、昭和54年にはスズキアルトが47万円という当時として驚異的な低価格で大ヒット、しかしその後のホンダやスズキの躍進は目を見張るものがあった。

 日本の次世代産業の要になるはずだったパソコンは、アメリカのインテルとマイクロソフトが牛耳ってるというが、ハードを作っているのはほとんどが台湾、タイ、香港だ、そしてその設計もソフトの開発も頭脳はインドなのだ。

 タタ・ナノというクルマはおそらく少なくともインドでは大ヒットするに違いないし世界中を走り出すかもしれない、そのタタがあのジャガーやローバーの親会社になるのだから、また少し、世界の自動車地図は大きく変わってゆくのだろう。

posted by 健太朗 at 21:48| Comment(5) | TrackBack(0) | 外車の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

姪っ子のモバイル

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 今年、大学に進学した姪っ子が、学校でも使えるモバイルPCがほしいと、工人社のSAシリーズという7インチの小さいノートパソコンを買いに行ったところお店のお姉さんに、これではDVDは見られません、と言われたという。
 そこで私に相談のお鉢が廻ってきた。

 なるほどSAシリーズというのは魅力的なPCで、小さく軽く、デザインもよろしい。それにタブレット入力が出来るのも良い、69,800円のお値段も魅力だ。
 だがCPUやグラフィックを見てみると確かに非力で、無理にDVDドライブを外付けしてもコマ落ちするかもしれない。
 他のPCでリッピングしてデータを軽くしてから見るという方法もあるが、そんな面倒なこと私でもいやだ。

 それなら普通のA4サイズのノートなら安くて性能の良いものがあるDVDスロットも付いているのだが、大きく重いのは持ち運びが大変だからいやだという。
 じゃあ中をとって12インチくらいのB5サイズなら、と言ったらB5サイズは高いという。予算は10万まででよろしく、とのたまうのだ。

 そうするともうショップブランドしかない、と言うことで見つけたのがこれだ パソコン工房のLesance CL213SW、89,980円。
 
 

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 メーカー製の安価なノートは、ほとんどセレロンだがこれはCore Duo T2300(1.66GHZ)、メモリーは1GB、HDD120GB、グラフィックもSis M671チップセット内蔵のものだ。
これならDVDもなんのその、重さも1.8Kgとそんなに重くない。


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 姪っ子は白い筐体と光沢のあるモニターが気に入って即、購入。
 最初のセットアップと当面必要なソフトのインストールまで私に任されたが、これがまたサックサク、実に軽快に動くPCだ。


 

 

 

   私もモバイルがほしくなってきた。仕事の合間にラウムの後席にかくれてblogの下書きをするのにちょうど良いな、なんてね。

posted by 健太朗 at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | パソコンの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする